2018年6月4日。STAMPの名古屋滞在最終日です。この日も午前中から最後の撮影がありました。チームが大須観音の境内に集合します。
大須商店街を散策するSTAMPに密着です。
この後「大須アメ横ビル」や中古ゲーム店「スーパーポテト」、レコードショップ「バナナレコード」を休憩を挟みながら回りました。
最後にパンケーキのお店で撮影してロケと名古屋での全日程が終わります。
フェスに関わった全員が店内にいますから、あちこちのテーブルで皆さん話しています。フェス会場ではそれぞれ多忙だったので、ここで初めて動画撮影を担当してくれたS-DREAMの皆さんと交流できました。
フェスは無事終了しましたが、僕達STUDIO MUSHROOM IRONには反省点が沢山残りました。
後から分かった事ですが、STAMPはお酒はおろかコーヒーやお茶も飲みません。水だけです。TV出演も多いですから、普段からダイエットもしているし、日焼けもタブーです。タイの人だけど辛い料理は苦手だし、味付けの濃いものも食べないそうです。
ひつまぶしと「ヤンガオ」「かに本家」での食事は本当に気に入ってもらえてホッとしましたけど、もしも「名古屋だから名古屋めしを・・・」なんて言って手羽先や味噌カツのお店に案内していたら、STAMPは何も食べられなかったかもしれないのです。
本当のプロモーターなら、こういった事はしっかり調べ尽くしておくでしょう。でも僕達は友達のノリのままで、雑なリサーチしかせずにTVに毎日出てるようなスターを連れ回してしまったと思うんです。
そしてスポンサーさんや名古屋市の方と話している時に「あれ?」と思う事があり、詳しく訊いてみると、連絡事項や要望の一部が先方に伝わっていなかったのが分かりました。何故かは今更考えても仕方ありません。ただ伝言が「どこかで時々止まった」のです。
ビザの大ピンチも過密スケジュールもそれが元で起こってしまった事です。でもやっぱりそれは「素人なのに業界に首を突っ込んで、コントロールしきれなかった」僕達の責任だと思いました。
撮影終了後、スポンサーさんに更にご無礼を重ねるのは申し訳なかったけれど、名古屋駅までのお見送りをお断りして僕と社長とSTAMPの3人だけで新幹線のホームにやって来ました。まだ列車到着までは時間があります。
途端に僕達はもう、人目もはばからずに泣きながらSTAMPに謝り始めました。STAMPはオロオロしながらも「大丈夫。楽しかったよ」と言って慰めてくれ、僕達が泣き止むのを待って「どうして君達はタイのミュージシャンにこんなに良くしてくれるの?」と訊きました。
「僕が初めてバンコクへ旅行したのが2012年なんだ。前の年には日本で大きな震災があって、日本中がシリアスな状態だったから、僕は日本はもうゲームオーバーだと思ってた。でもバンコクでCDを買ったら、タイポップスのレベルの高さに驚いて、集め始めたんだ。沢山聴いて、沢山元気をもらった。中でもSTAMPさんは特別なんだ。いつも前向きで、いつも新しい事に挑戦してるでしょ?それで僕も震災のショックから立ち直ったんだ。STAMPさんは僕のスタートボタンなんだよ。」
とまぁ大体そんな内容の事を酷い中学英語でどうにか伝えると(笑)、STAMPは真剣な顔でこう言いました。
僕もEntaroと同じ気持ちだった時期があったよ。もっと成功を、もっと大きな会場を、と突き進んでいて、突然大スランプに陥って全く曲が書けなくなった。
もう充分だ。やめよう。引退しよう、と思っていた。そんな僕を見かねたNew(当時の彼女。現在は奥さんです)が日本旅行に僕を連れて行った。そこでRyoji-san(さいとうりょうじ)やP.O.Pのメンバーと出会って、新しい形で僕の音楽がまた動き始めた。成功より大切なのは成長なんだ。日本にはそうやって・・・君達もそうだけど、音楽で繋がった仲間が沢山いる。だから日本では、タイでの仕事の事を忘れて音楽だけに集中して、ワクワクして過ごせるんだよ。
そうでした・・・。彼は日本で、ファンに見つかる心配もなく渋谷や高円寺の街を歩いたり、バンドを始めた頃のように小さなライブハウスで演奏したりするのを心から楽しんでいるのです。CMやPRの仕事を入れてしまったら、タイでの生活と同じになってしまいます。やっぱり僕達は素人です。うかつでした。すると
「大須も楽しかったよ。これが買えたから」
とSTAMPがバッグから取り出したのは、
欅坂Tシャツ。STAMP、あんたって人は・・・(笑)ロケ中に見つけて、撮影中だったからその場はクールに通り過ぎたけど休憩時間にダッシュで戻って買ったそうです。
これからもSTAMPが日本で、特定の企業や自治体のPRをする事はきっとないでしょう。でも、僕達の「名古屋でSTAMP見たいよねー」という思い付きが生んだミラクルが、もうひとつのミラクルを残しました。S-DREAMさん制作によるこのムービーは、タイに向けて名古屋の魅力を紹介するイベント等で使用されるそうです。
そしてフェス2日目に会場に来ていたYuruの2人と出会ったのも、この後僕達がYuruのバンコクでのライブ(CDショップ「Nong Taprachan」のチャン・チューイ支店)をブッキングするきっかけになる出来事でした。
もうひとつ。会場で沢山売りたかったけれど、メーカー在庫切れでごく少量しか用意できなかったSTAMPのアルバム「STH」をフェスのお客さんにもっと知って欲しくて、STAMPに提案して突貫で作ったのがこのQRカード。
タイフェスティバルin名古屋2018は、過去最大の13.5万人の来場者数を記録したそうです。
こんな大きな広場をあの日、13.5万人の人とSTAMPの音楽が埋め尽くしたのです。このフェスに関われたのは本当に光栄な事でした。関係者の皆さん、どうもありがとうございました。そして至らなかった点の数々を改めてお詫び申し上げます。
タイフェスティバルは毎年5~6月にかけて東京/大阪/名古屋で開催されていますので、ぜひお近くの会場に足を運んで、タイの食や文化に触れてみてください。
さて。
こんなに長い文章と写真で埋めた後なら見てない人もきっと多いから、隠しトラックみたいに収支の話を書きます。
まずタイフェスから出たギャラですが、僕達は1円も抜かずにSTAMPに渡しました。STAMPはそれをまたそのままバックバンドに渡した。これが真相です。
そして名古屋市から出たPRの予算ですが、これはほぼ動画撮影及び写真撮影の経費になりまして、残る○万円ずつをSTAMPとSTUDIO MUSHROOM IRONで分けました。でもうちの取り分はビザの大ピンチの際、申請代行料金で既に吹っ飛んでいましたから、
◎フェス出演依頼のための東京往復の費用
◎名古屋で数回行なわれた出演・PRの打ち合わせの交通費等
◎来日初日のバンドメンバーを交えての会食
◎名古屋滞在中の移動費と飲食費(かに本家さんを除く)
◎物販用のCDの仕入れ
◎QRカード作成費用
これらは全部僕達の持ち出しでした。でも実は、最初からそうしようと決めていたのです。
大好きなタイポップのスターを自分の近くの街に呼べる。しかも大きなイベントで。招聘元って事で滞在中は同じホテル(いい宿)に泊まらせてもらえて、一緒に大須商店街で買い物するっていう夢も叶う。僕達もともとただのファンだよ?凄くない?だからさ、儲けるなんて無理だし、むしろそういう体験にお金払うつもりでいようよ。
と、社長と話していたんです。
赤字とはいえ、泣ける程痛い金額でもなかった。そうだなぁ、どこの家にもあるでしょ?「夏場に冷蔵庫が壊れちゃって・・・」みたいな急な出費。金額的にも丁度その位だったんですよ。
何より楽しかった。大変を差し引いてもお釣りがきた。だから僕達には、納得の出費でした。
もし大会場のイベントに絡んでドタキャンなんか出したりしたら泣くどころじゃなくて逃げるレベルのお金がのしかかって来ますから、「皆さんもぜひ」なんて絶対言いませんけど・・・タイでも台湾でもインドネシアでもどこでもいいですけど、大好きな歌手がいるなら待ってるより「呼びたい!呼べる人どこー!」って騒ぐとずいぶん日本で見られる確率上がりますよ、という点だけ参考にしてもらえるといいと思いますね。アジアの音楽をもっと日本に!
STAMPのタイフェス名古屋出演のエピソード、これにて完結です。ありがとうございました!山麓園太郎でした!
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