山麓園太郎です。サワディーカップ。
ファミコンで初めて「グラディウス」を遊んだ時に僕、きっとこのファミコンとグラディウスはずっと大事にとっておいて、じじいになってからも遊ぶんだ。と思ったんです。実際その後20年はとっておいたと思いますよ。
ゲームが好き過ぎてゲーム会社に就職した位ですから、ゲームに関しては人一倍執着があったと思います。でもある時急にファミコンとそのゲームソフトを全部手放したんです。あんなに一生もののゲームだと思ってたグラディウスも。
理由はいろいろありました。新しいゲーム機が沢山出て、ファミコンの存在意義が自分の中で薄れてきたとか、動体視力が衰えて敵の弾がよけられなくなったとか(笑)ですけど、一番の理由を簡単に今の言葉で言えば「推し変」です。その頃音楽活動への熱が再燃したんですね。ゲームの代わりに楽器ばかり買ったりして。
今もゲームで遊びますけど、空き時間にちょっとみたいな遊び方が多くなって、そうなるとスマホのゲームアプリなんてのは都合が良いですよね。そんなある日、推しのBNK48のゲームだからと遊び始めたのが「BNK48 Oshi Festival」 でした。曲に合わせて画面をタップするリズムゲームで、曲はAKB48の曲のタイ語版ですから日本のAKB48ファンも遊んでみればいいのに、と思ってこのブログで攻略記事を書いたりしました。日本語で唯一の(かなりマニアックな)攻略記事でしたがこれがなんと本国タイのBNK48ファンにGoogle翻訳かけて読まれる、という事態になり僕の出したハイスコアが次々追い抜かれて(笑)、僕も負けじと毎日欠かさずログインして、時には課金したりしてタイのファンと競い合っていました。一時的にゲーム推しに戻った時期でした。
そんな公式ゲームが約2年間の稼働を終えて今年の夏にサービス終了したんです。
実際には終了する1年前から、アップデートも新しいイベントも無くなりオワコン化していました。ユーザーからは「2期生も加えて欲しい」「新曲がプレイしたい」という要望が寄せられていたのに完全スルーだったので、かなり早い段階で「このゲームは儲からない」と判断されていたんでしょう。最後の1年間、ログインしていた人はおそらく僕の他に数人程度だったかもしれません。
その代わりにBNK48は公式アプリに可能性を見出しました。日本のAKB48公式サイトは月額330円の有料会員だけがアクセスできるコンテンツをサイト内に設けていますが、BNK48のアプリではメンバーの週間ランキングの投票やライブ配信へのリアクションに「投げ銭」を導入して、リアルタイムで直接集金ができるシステムで毎日ファンからお金を搾っています(笑)。まぁ確かにゲームと違って開発費もサーバー代もかからなくて楽だよねぇ。
僕はこのゲームが好きでした。このゲームでBNK48の1期生全員の顔と名前を覚えたし、改めてAKB48の楽曲の良さにも気付けたからです。しかしサービスが終了した今、僕のハイスコアも課金して強くなったメンバーのデータも消えて、僕の思い出とスマホのスクショに残っているだけです。ただ、新しい展開もないまま毎日プレイを続ける日々から解放されて少し嬉しい自分もいました。
僕のBNK48での神推しはKaimookです。BNK48の中で日本の80年代アイドルスタイルを体現していた彼女は印象に残り易くて、僕が初めて顔と名前が一致したメンバーだったからです。そんな彼女は選抜の当落ライン付近にいつもいて、彼女の熱心なファンが一定数いて奮闘してるのを僕は知ってる。
一方そのずっと後に知ったJibはランキングではもっと下にいて、ファン数もKaimookより少ないから僕はファンとして力になりたい。実際もし選抜総選挙があれば僕は自分の投票券全部Jibに使うでしょう。
でもKaimookからJibへ「推し変」するのはKaimookに申し訳ない。もちろん握手会とライブで3回会っただけで向こうは僕の事なんてきっと分かんないけどさ。ただ自分がKaimookの気持ちになったら、と想像してるだけ。でも・・・なんてぐるぐる考え続ける時間を持てるのも、推しがそこに居ればこそです。「推しが消える」って事がありますからね、人生には。
活動終了で箱ごと消えてしまったFEVERを始め、いくつもの推しが消えるのを経験してきました。それぞれに喪失感は強かったけど、記憶をたどると一番ショックだったのはジョン・レノンが殺されちゃった日ですね。でもジョンがこの世から消えてもやっぱりまだ推していて、展覧会見に行ってリマスターCD買ったりして、その時僕が落としたお金の一部はオノ・ヨーコさんのランチ代になったりしたんだろうか、なんて思うんですよね。
だから誰かを「推す」ってのはその人の人生に少しだけ関わる、って事です。推しに実際会う事が一生無かったとしても。
推しがいるから頑張れる。他に推したい人ができたら「推し変」じゃなくて「推し増し」する。というのが今の僕のスタンスですが、同時に「頑張る」と「無理をする」を間違えちゃいけない、とも思います。主に課金方面ですが(笑)。
物販で同じグッズ買ったり握手券のために段ボール単位でCD買ったりする人を見てるのは僕好きなんですよ。全然ありだと思っていて。ただ僕はリッチマンじゃないから自分のうっすーい財布と相談の上で応援する事になる。だったら推しに会いに行く時(僕の場合はタイですね)に、推しの好きな食べ物を食べてみたり握手会に備えてちょっといいシャツなんか現地で買ってみたりしたい。推しの国の文化やファッションの流行が分かったらきっと推しのインスタの投稿見て気付く事も増えるし、自分の人生がもっと楽しくなる。それは推しのおかげです。握手会で推しに「君のオススメのお店でランチ食べて来たよ。ほんとに美味しかった!」って言えたら、その瞬間は「一緒にランチ食べた」に等しい記憶の共有だと思うんです。
でもお金の事情や大人の事情で時に推しは僕たちの前から消えてしまいます。同様に僕たちが「推し変」した時、僕たちは推しの前から消えてしまう。どう消えるかってのが大切で・・・うぅ、「いかにあと腐れなく別れるか」っていう話みたいであれですけど、捨て台詞吐いたり悪態ついたりするのって嫌ですもん。
無名の頃からの推しが大人気になって「もう僕が応援してなくても大丈夫だね」なんてのは僕にとっては理想ですけど、推しにとってはどうなのかな?まぁ答えなんて出ないしこれって人生の縮図かもですよ。好きだった子が転校しちゃったとか親友とケンカして疎遠になったとか離婚したとかね。
でも、そうやって距離が出来てしまったとしても何年、何十年か後にバッタリ会った時に気まずくなったりせずお互い笑顔で「元気だった?」と言い合えたらきっと良い人生だろうから、逆にそれを推しと自分の関係性に当てはめてどっちもハッピーになる推し活を続けたいなと思いますね。
さて、今はファミコンミニなんてのが出ていて昔のゲームが遊べたりするから早速「グラディウス」遊んだら2面でゲームオーバーになっちゃったというね。でもこんな時「推しは昔はこんなじゃなかった」とか言っちゃダメなんですよ!ダメになったのは自分なんですよ!!自戒自戒。
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